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2. オフィスプロセッサ(1984/5〜1992/10)前半


2.1 オフィスプロセッサ”FACOM Kシリーズ”

この頃オフコンの機能が高くなるにつれ、任される業務も高度になり、中小企業のコンピュータのホストとしての使い方の他に、大企業の部門コンピュータとして他のコンピュータと接続されて連携して処理を行うということも多くなりました。つまり今までの”オフコン”よりさらに高度な機能を持った事務用コンピュータの登場が期待されていました。

一方従来からFACOM Vシリーズとシステム80と2系列に分かれていることによる問題点も指摘されていました。さらにFACOM Vシリーズは、より上位の汎用コンピュータMシリーズとも互換性がないため、当時続々と登場していた他社の新しい小型汎用コンピュータに単独で対抗しなければならず、苦しい状況に追いこまれていました。
そこで従来FACOM Vシリーズの担当していた領域をMシリーズと新開発のオフコンで担当させ、FACOM Vシリーズは順次縮小させるという方針が決定されました。

こうして登場した画期的な新しいオフコンが、FACOM Kシリーズでした。

まず、1984年5月にシステム80の後継モデルとして、最下位のK-10から最上位モデルのK-250Lまでの6モデルを発売、翌年初めにFACOM Vシリーズの後継モデルK-270、K-280を追加し、FACOMシステム80シリーズとFACOM V(800)シリーズを統合しました。さらに従来のオフコンのイメージを一新するため、名称もオフィスコンピュータからオフィスプロセッサへと変更されました。

このオフィスプロセッサは、これからの新しい用途に対応するため、分散処理方式、連携処理機能が強化されました。その一番の特徴としてダム端を廃止し、K-10をワークステーションとして使用するようにしたことが挙げられます。

K-10は、それ自体でスタンドアロンのオフコンとして使用できますが、K-10を他のホスト用のKシリーズに繋いでワークステーションとしても使用できるのです。
最初はK-10を購入して使用、業務拡大と共により上位のKシリーズを入れることができるということ意味する、”小さく入れて、どんどん大きく”というキャッチフレーズがありました。そして、K-10は無駄にはならずワークステーションとしても使用できるのです。
これにより、K-10は発表当年の1984年に1万7千台受注というベストセラーになりました。

ソフト面では、統合OAツールEPOCファミリーも発表されています。これはビジネスパソコン9450IIシリーズで好評のOAツールを移植したものでした。
また、CSP/F1、CSP/F3、CSP/F5と3系列あるOS間での移植性を高めるために、共通仕様のCOBOL Gが1985年10月に発売されました。このCOBOL Gによって、3系列のOS間でソース互換が実現しました。

Vシリーズからの懸案であった販売チャネルの整備については、Kシリーズ発表時までに、販社、ディーラーを138社まで集めることに成功しています。

2.2 FACOM KシリーズRモデルでトップシェアへ

1986年5月には、FACOM KシリーズRモデルが発表されました。ラインナップはいっそう拡充され、スタンドアロン/ワークステーションとしてK-10R、ホストとしてK-220RからK-300Rまでの合計10モデルとなっています。そして1987年7月には、最上位モデルとなるK-310Rが発表されています。

K-220R以上の全てのホスト用モデルに新開発のCMOS 32ビットCPUを搭載、同じくホスト用全モデルでリレーショナルデータベースRDMを使用できるようになりました。
その他にパソコン連携などの水平/垂直分散機能がさらに強化され、ソフトウェア面でも強化がはかられています。

分散連携機能とOA機能、そしてモデル間での一貫性互換性をウリにした新しい”オフコン”と強力な販売網により、Kシリーズは1986年度に3万9700台、1987年度に5万2000台と急速に売上を伸ばし、1987年にはオフコン御三家を抜きオフコン市場トップシェアとなりました。




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前章でも書きましたが、複数系列に分かれているといろいろ大変なのです。詳しくは、前章のFACOM VとFACOM V0とFACOM Bmを参照してください。
Kシリーズが出たら出たで、従来のVシリーズとKシリーズとの互換性で(レベルアップツールはあったものの)苦労したようですが・・・。
何度か説明したように、Vシリーズのライバルはシステム規模から他社のオフコンではなく、オフコンより一回り大きな小型汎用コンピュータでした。少し前の1979年にIBMがシステム38を発売していますが、(1980年に入り日本語対応などの強化がなされると)これは特にVシリーズの脅威となりました。各コンピュータメーカーもシステム38の対抗に次々に新型の汎用コンピュータ、オフコンを発表しています。
これらに汎用コンピュータMシリーズとVシリーズという分断された2系列のコンピュータで対抗せざるを得ず、2種類のアーキテクチャのコンピュータを維持するための開発費用の面などで不利となっていました。

対NECの話をすると富士通の「Z作戦」に対抗するため、1983年末にNECは「アラジン」という強力な武器を携えた小型汎用コンピュータACOS410を投入しています。(「富士五湖作戦(湖に映る”逆さ富士”を表す)」「マルヒ作戦(富士通の頭文字”F”をひっくり返すとカタカナの”ヒ”になる)」という作戦名が有名。富士通もNECも文字をひっくり返すのが好きなようです。)アラジンは、今のMicrosoft Exchangeのようなもので、後にNECの(オフコンを含む)各種コンピュータに移植されていきます。
既存ユーザもいる為、すぐに終了させるわけにもいかず、新オフコンKシリーズが発表された1984年にVシリーズの強化モデルも発表されています。
安価にするためにシステム80モデル1と同様にインテル社のプロセッサ、8086を使用しています。
開発コード名はBP(ビジネスパソコンの意)で、内田洋行側ではカマラードという名前で最初はビジネスパソコンとして売られていました。
ホストとして動作するK-200シリーズは、1984年5月の発表時は、下からK-230S、K-230、K-240、K-250、K250Lの5モデルがあった。システム80同様、これらのモデルはユーザック工業の笠島工場(石川県)で製造し富士通に納入されました。
ちなみにユーザック・内田洋行側の名称はUSAC2001シリーズです。
とは言っても内部構造的には、FACOM Vシリーズ後継のK-270、K-280、システム80後継のK-230S、K-230、K-240、K-250、K250L、同じくシステム80モデル1、モデル3後継のK-10と3系列あります。またそれに伴ってOSも、V800からの流れ(UNIOS/F5の後継)のCSP/F5、システム80(CPS80の後継)からの流れのCSP/F3、K-10用のCSP/F1の3系列がありました。
ただどれも良く似ており、また富士通のIBM互換機路線に合わせて、両方ともIBMのコマンドラインとも似せています。それにファイル(データ)の構造も同じなので、使用者にとっては特に問題がなかったのかもしれません。
FETEX-LAN、情報伝送システムCORDEX、EMIEという電子メール機能なども提供されました。
スタンドアロンだけではなく、K-10同士を接続してクラスタ構成(水平分散)とすることもできました。(というかK-10だけでクラスタ構成ができることが、大きなセールスポイントの1つでしたが。)
上位モデルの単なる端末としても使用できるし、K-10自体がオフコンでもあるので、上位モデル内のデータをもらってK-10でいろいろと加工(必要なら印刷したりして)、結果を上位モデルに送ってディスクに格納しておくということができる。分散処理全盛の今だと当たり前のことですが、昔だとコードが違ったり、簡単にクライアント側にデータを出力できなかったりといろいろ大変だったのです。そのため、「オフコン内のデータをパソコンで編集するために、データを紙に印刷してから、もう一度パソコンにキーボードから打ちこみました。」などという話も時々ありました。
K-10を購入した6割がスタンドアロン(メイン機)として使用していることから見ても、”小さく入れて・・”という戦略は成功していることが分かります。またK-10は中小企業向けにも使用される他、大企業にも大量に売られました。つまり、富士通が得意とする大型モデルが売れると、ワークステーションに使われるK-10も大量に売ることができます。
もうひとつの特徴として、オフコンのワークステーションをK-10に統一することにより、入出力情報、操作性の統一を図ることができ、内部的には複数系列となっていることを使用者に感じさせないようになっていました。
実質的に1990年代半ばまで、本当の意味で1つの系統にまとまりませんでしたが、セールスポイントとしてシングルアーキテクチャと言いきることができたのも、このK-10があったからに他なりません。K-10は富士通オフコンになくてはならないものでした。
発売後1年半で2万5千台売れたというデータもあります。
ワープロEPOWORD、表計算ソフトEPOCALC、グラフ作成EPOGRAPH、図形作成EPODRAW、それらのデータを一括管理するためのEPOCABINETなど。
MシリーズのCOBOL85のサブセットでもありました。CAPSEL Vは、このCOBOL Gで記述されています。
このCOBOL Gが発表された段階で、実質Kシリーズはハードウェア、ソフトウェア的に互換性ありという状況になったと言えます。
1992年3月末にはディーラーは250社以上となっています。
”R”は「Revolutional Renovation」の2つのRから来ています。
132万円のK-10Rから2700万円のK-300Rまでの非常に広い範囲をサポートしています。(後に発表のK-310Rは3220万円)
ちなみにユーザック・内田洋行側の名称はUSAC2001VHシリーズです。
登場当初はあまりにも大型のシステムであったため、K-300Rとともに、オフコンではなく小型汎用コンピュータにカテゴリ分けされたりもしました。
K-10の後継モデルで、CPUが80286(8MHz)、メモリが標準で256KBなど強化されています。
このK-10Rをベースとした専用機もいろいろ作られ、例えばF3770KというPOSシステム(お店にあるレジみたいなものです)も作られました。F3770KとKシリーズを組み合わせて、お店でレジを打つとそのデータがオフコンに直接入力できるといったことができました。
FSSPの後継CPUです。従来は、FACOM Vの流れを汲むK-270/K-280のみ32ビットCPUでした。(今までのKシリーズは中下位モデルは16ビットCPUだった。)
従来は、FACOM V(OSで言うとCSP/F5)の流れを汲むK-270/K-280のみで使用できました。
パッケージソフトもさらに充実し、1986年7月にCAPSEL Vという名前で揃えられています。
翌1987年5月には、SDAS統合開発システム(生産性向上ツールCASET、YPSエディタなど)が発表されています。これはKシリーズのソフトウェア開発において統一した開発環境と支援ツールを提供するというものです。
オフコンの急激な伸びに対して、SEの不足が問題となり、簡単にシステム化できるパッケージソフトや、開発効率を高めるツールが必要となっていました。
富士通も1986年にCAPSEL Vをディーラーに代わってユーザ向けにカスタマイズする拠点として「カスタマイズセンター」、コンサルティングやサポートを行う「アプリケーションランド」を各処(最初は東京/大阪のみ。徐々に増やして1991年には全国29ヶ所)に設立しています。
1970年後半頃のオフコンシェア3強、NEC、三菱電機、東芝の3社のこと。
1984年頃から富士通、NECの2強時代に入ります。その少し下に三菱、内田洋行、東芝の3社、さらに下にその他の会社のオフコンといった状況です。(この辺りから日本IBMが急速追い上げ開始)
1980年には9位だったにもかかわらず、わずか数年でトップに踊り出ています。その後富士通はNECと激しいトップ争いを演じ、1987年から1991年の5年間トップの座を占めました。