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NECオフコンの歴史


10.オフィスプロセッサ時代のまとめ(1985/10〜1993/6)

10.1 オフィスプロセッサの統合による影響

端末装置であったN6500シリーズ(後のSモデル)をNECが公式にオフコンと発表したのは1985年ですが、実際にはそれ以前からオフコンとして使用されていました。

通常N6500シリーズはその目的上、汎用コンピュータACOSシリーズとセットで販売されます。汎用コンピュータはシステム規模が大きいためNEC自身が直販することが多く、ディーラーが販売することは(会社規模が大きいディーラーを除いて)ほとんどありません。主なユーザは汎用コンピュータを使用するような大企業がとなっていました。
一方、従来からのオフコンであるシステム100はディーラー販売が主となっており、対象ユーザーは中小・中堅企業が主なターゲットとなっていました。 このようにして2つの”オフコン”間で販売上の競合が発生しないような仕組みになっていました。統合しオフィスプロセッサとなった後もAモデル、Sモデル(OP-X)と2本立てとなっている間は、そのまま上記の売り分けが続けられました。

Aモデルに統合していくということは、従来のユーザー層にさらに大企業がユーザーに含まれることになります。オフィスプロセッサ時代は主に大企業向けの機能強化が行われることになります。

例えば、(もちろん中小・中堅企業にとっても必要ですが)大企業向けとして、Aモデルの弱点となっているネットワーク機能については、Sモデルからサーバ機構/サーバ拡張機能という形で吸収します。

オフィスコンピュータ時代は、上に汎用コンピュータACOSシリーズがあるため、それとの売り分けのために大型化が抑えられていました。前の章で書いたように、企業が成長するにつれ、より大型のオフィスコンピュータが必要になりますが、それが無い場合には汎用コンピュータに乗り換えるという面倒なことになります。このためにオフィスプロセッサ時代になるとある程度の競合が発生することは覚悟の上で、より大型のオフコンが次々に登場しました。ワークステーション接続最大数の変化を示すと、システム3100/80(1987年)で120台、システム3100/90A(1989年)で240台、システム3100/A120(1991年)で640台、システム3100/A145(1992年)で1200台(理論値)とわずか5年で10倍に増加しています。最大搭載メモリサイズもシステム150/88VS(1985年)で14MBだったものが、システム3100/90A(1989年)で72MBとなり、システム3100/A145(1992年)では256MBとなっています。

汎用コンピュータ並みの高性能化や高信頼性化も大企業向けには必要となります。マルチプロセッサ化、自動電源制御、ハードディスクの二重化(ミラーリング)などがそれに当たります。後述するソフトウェアもいくつかは汎用コンピュータと同じあるいは同等の機能を持つソフトウェアを供給するものです。



10.2 中小企業向けのオフィスプロセッサ

この頃でもまだかなりの中小企業がコンピュータを使用しておらず、大きな未開拓領域となっていました。ただしこれらの企業は規模が小さく、従来のように企業毎にアプリケーションをカスタマイズしシステムを構築するといったやり方では利益を上げることができませんでした。当時NECは各販売店に対して、モデル10や20といった安価なモデルに既成のパッケージソフトなどを組み込んでハードウェア/ソフトウェアをセット化して、これらの企業に販売するように推奨しました。

数多くの販売店はこのように方式で未開拓領域へ売り歩きました。特に大きな販売店は専門の営業部隊を作り、自製のパッケージソフトを載せたパッケージオフコンを売りました。これらのオフコンはカスタマイズできる範囲は限られましたが、ワープロ、表計算、グラフ表示といったパソコン機能プラスオフコン機能という利点に、ハードウェア/ソフトウェアがセット価格で非常に安価であったことから好評でした。しかし販売対象が小さな企業で資金が限られるため、質の悪い販売店に捕まってしまうと、売り切ってしまうと販売店が2度と訪問しない、サポートが遅いなどといった問題も起きました。

新しい機能や施策を見る限りオフィスプロセッサ時代の後期になるにつれ、NECの目はしだいに大企業向けられていくように思われます。



10.3 ソフトウェアと性能向上

オフィスコンピュータ時代にほぼ基本となる業務アプリケーションや開発環境は出揃っていました。オフィスコンピュータ時代は主にそれらの機能強化が中心となっています。この時代のソフトウェアを幾つか挙げると、統合オフィスソフトウェアのアラジン(1986年)、ANS85COBOLに準拠したCOBOL85(1986年)、簡易言語SMARTの後継であるSMARTII、さらに発展して4GL対応されたSMARTIIEXなどです。
また1991年から1993年にかけて「ソリューション21」というコンセプトをもとにOP CIMS(製造業用)、OP MIND(装置業用)などの業種別のアプリケーションソフトウェアが次々と発表されていきました。

基本的な機能はオフィスコンピュータ時代に既に揃っていました。オフィスプロセッサ時代は、ラインナップを拡充し、さらに汎用コンピュータで実現されていた機能を組み込み、パソコンの便利な機能を取り込んでいきました。つまり、ダウンサイジングの波に乗って汎用コンピュータ(メインフレーム)領域に、PCサーバ機能などを利用してパソコン領域にと、積極的に両領域に食い込んでいった時代といえます。



10.4 オフィスプロセッサの販売状況

この頃NECはオフィスプロセッサの売上拡大のために、数々の販売施策を行っています。

オフィスプロセッサの時代は、数々のセールスプロモーションが行われた時代でもありました。これらの販売作戦もまた首位を奪取するためのものでした。1987年5月システム3100シリーズとなった時に行われたものが「カフェテリア戦略」というものであり、地域別に傾向を調査し重点販売する「SPADE」、パッケージソフトの充実を狙った「PACKS」、提案型セールスの「ASIST」という三本柱から成り立っていました。それぞれの地域、販売店に毎にこれらを組み合わせて販売していくというものでした。
NECのオフィスプロセッサの広告に映画監督の黒沢明氏が登場したのもこの頃です。

また平成の初めに「SISキャンペーン」が大々的に行われました。「SISはNEC」というコンセプトの下に”オフィスプロセッサをSIS(戦略情報システム)に使おう”というものです。このキャンペーンは最終的に大成功を収め、NECのオフィスプロセッサの認知度、イメージアップに大いに貢献しました。この時イメージキャラクタとして俳優の田原俊彦氏が起用され、新聞、テレビと大々的に広告が行われました。

こうした施策により販売台数もさらに伸び、2つのオフィスプロセッサの統合という数字のマジックも使用して、1992年にNECは富士通からオフコン市場で首位を奪回することに成功しました。首位に返り咲いたNECは、さらにその地位を強固なものにするべく、新しいコンセプトを持ったオフコンを発表することになります。






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