オフコン情報掲示板(総合)
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「隠れオフコンの時代」(4) オフコンの「成熟」と「黄昏の予感」 | |
EXCHANGE 2003-9-27 2:52:56
[返信] [編集] * 時代は「新御三家の時代」に入りました。 この時代は、「オフコン寡占化の時代」でもあり、「オフコン成熟の時代」でもありました。 * 1987年、われらがオフコン「S3100シリーズ」が発表され、また1988年にはAS/400が華々しく登場します。富士通のK600シリーズも同じく1988年です。 * この時代のオフコンについては、どのような特徴があるのでしょうか? 後々のWindows時代の「クライアント/サーバ方式」を推進する人々が自分たちの優位性を主張するために、「オフコン」にたいして多くの誤った印象や評価をしてきましたので、 == ここで、「オフコン」の名誉のためにも == ひとこと、述べておきたいことがあります。 * 彼ら(クライアント/サーバ推進者たち)は、次のように主張しました。 (1)「オフコン」にはデータベースというものがない。 (2)「オフコン」には日次更新処理という不便なものがあり、一度更新処理をおこなってしまうと赤黒修正以外、データの変更ができない。 (3)「オフコン」には表計算のソフトがない。また蓄積されたデータをユーザが取り出して活用できない。 (4)「オフコン」は本体でソフトを動かす方式でホスト側に負荷がかかり、クライアントサーバ方式に比べて時代遅れの方式である。 (5)「オフコン」は高価でしかもメーカによる互換性がない。一度購入すると以後ずっとそのメーカに縛られてしまう。 * これらの主張がいかに間違ったものであるかは現時点では明らかです。 * というより、当時、「データベース」「エンドユーザコンピューティング」といった重要な技術革新は、かなり大規模なシステムにおいても実際に使えるレベルで、当時の「オフコン」がすでに実現していたものでした。 B−treeveなどという、ISAMに毛の生えたような「データベース?」や、データベースの行レベルロックもままならないオープン系DBと違って、「オフコン」のそれは安定性と実用性を兼ね備えていました。 * また、「オフコン」のデータベースにはエンドユーザが実際に簡単に利用できる「フロントエンドツール」(NECで言えばRDBQ、RDBQ2、三菱でいえばEDUET)も充実していました。 * パソコンがDOS全盛の頃、「オフコン」メーカは内部仕様がオフコンで利用形態がパソコン的な「独自PC」を作り上げていました。NECで言えば、N5200−05、富士通で言えばFM??(忘れました)、IBMはOS/2がその代わりだったのでしょう。 それらの「独自PC」は、「LAN−PLAN」「EPOCALC」といった表計算ソフト、「LAN−WORD」「EPOWORD」といったワープロソフト、さらに高度な地図表示や、予測計算ソフトまでも利用できました。 そしてたいていの場合、N88BASICのような単純なBAICと違って、ISAMが使える「事務用BASIC」を備えており、小規模な事務処理ソフトが開発できるものでした。 COBOLも用意されていました。 IBMにいたっては、端末PC上で、5250エミュレーション画面とPCソフトの画面を、それぞれ実行中に「ホットキー」の押下で切り替えたり、PC上のOS/2クライアントソフトからAS/400のデータベースに直接アクセスしたりする機能も備わっていました。 (ちょっと長くなりそうなので、次の書き込みに「続き」ます!!) | |
(続き)「隠れオフコンの時代」(3) の(注) | |
EXCHANGE 2003-9-26 20:39:02
[返信] [編集] * JBCCに関する注釈 ** 前回の文章が規定の長さをオーバーして書き込みができませんでしたので、(続き)を書かせて頂きます。 (注)JBCCの名誉のために付け加えますと、当時すでに優秀な「パッケージソフト」を多数持っており、システム構築に強みを持っていたJBCCが「メーカ」を離脱したのは決して敗北ではなく、積極的な意義があったと筆者は思います。その後のオフコン各社の流れを見てもそのことは明らかです。早くからシステムインテグレーションの方向に進んだJBCCの方針は高く評価されるべきです。 | |
「隠れオフコンの時代」(3) 前史後編 | |
EXCHANGE 2003-9-26 20:24:15
[返信] [編集] * 前回は、前史前編として今から約25年くらい前までを中心にお話ししました。NECでいうとシステム100が登場する(1979年)以前です。この当時はすでにお話ししたとおり「三菱メルコム80シリーズ」「東芝TOSBAC1150、1350、システム15」「リコーRICOM8、ペンコールシリーズ」といった「旧御三家」の全盛時代でした。 そして、オフコン勃興期、上げ潮の時代でありました。 * この時期までのオフコンには共通した特徴があります。それは (1)OSと呼ばれる物があまり発達していなかったこと。モニタだとか、スーパバイザだとかいった簡単な監視ソフト管理ソフトが搭載されていました。 (2)言語にアセンブラや独自の言語を搭載していた。データベースもありません。 (3)ディスク容量はきわめて少なく1?5MBぐらいがザラでした。それも固定ディスクではなくカートリッジディスクという、積水のポリゴミ箱の「フタ」のような(と、聞くと古い方なら、きっとうなずくでしょう!)差し替え式のディスクでした。 * したがってあまり大規模なシステムを組むことはできず、どちらかというと、現場もしくは空調のない簡単なコンピュータルームで、ダイレクトにデータを入力して「即伝票」を発行し、請求書や元帳を作成する、そしてあらかじめ決められた切り口で「地区別」だの「担当者別」だのといった総計をとる、というスタイルでした。 * 処理能力がきわめて限られていただけに、ソフトと現場での業務の流れとがうまくフィットできないと、その後の転用も利かず「導入したものの全く動かずに埃をかぶった」状態になることが多々ありました。中小企業にとっては、時代に乗り遅れないために親族会議を開いて「一大決心」をもって導入に臨んだものです。 * 同時に、OSの知識が必要なく、システムもシンプルでしたので、普段の会社の仕事をやりながらソフトを組んだという「現場の素人プログラマ」が、各地で活躍した時代でもあります。 (実は私もそこから出発していつしかこの業界にハマってしまった者です) * この時代の最後を飾る画期的な技術は、「漢字の使用」です。 1977年、JBC(現在のJBCC)が日本で初めての「漢字の使えるコンピュータ」を発表します。 そして1979年NECのS100。。 * 時代は「前史後編」に移っていきます。 * 後編の時代の共通の特徴は、 (1)OSが次第に重要な役割を果たすようになってきた。 (2)高級言語(主にCOBOL)さらに第4世代言語(各社独自のジェネレータ、「マスタ保守」「レポート作表」などに使われた)が中心になった。 (3)オフコン各社が差別化を図るべく、「ペンタッチ」「タッチパネル」「ボタン式ブック」などの入力装置、 元帳が単票単位でプリントできる「OAプリンタ」、等々中小企業にアピールする各種装置を開発、搭載して競い合った。 と、いった点です。 * 処理能力の向上、ハードウエアの信頼性の向上、多くのメーカの参入などによって「オフコン」は全盛期を迎えました。 「時代に乗り遅れるな!」 一般企業はオフコンの導入熱にうかされました。新聞にオフコンの広告が載らない日がないほどでした。オフコン導入成功企業はいわば「先進の企業」として尊敬と羨望の対象となりました。(これって、現在のEビジネスに似てません?) * オフコンの普及にともなって本社に1台の時代は終わり、支店、営業所にもオフコンと複数の端末機を導入しそれらをオンラインで結んだり、取引先との間のバッチオンライン受発注など、システムがかなり高度化してきました。 この時代は、コンピュータ間の接続性、データの互換性は同一メーカどうしでないと基本的にやりにくく、本社または、親会社があるメーカを採用すると、支店、関連会社も同じメーカを採用する、といったことが次第に多くなってきました。 * また、各オフコンメーカにとって、「OS」の開発費用がかなりの負担となってきました。 * このような事情を背景に、IBM、富士通、NEC、といった大型汎用機メーカが次第にオフコン分野でも優位に立つようになってきました。 「前史後編」の時代の終わり頃にはぼつぼつ「オフコン」分野から腰が引けてきたメーカも出始めました。 リコーは1986年、MXシリーズと銘打って、独自OSから離脱し、UNIXを搭載したオフコンを発表します。(もっともこのマシンはあまり安定動作せず、従来からのリコム?Iシリーズも併売されていましたが。。不安定オープン系コンピュータの先駆的実験か?) * オリベッティなどもこの時期までには東芝のOEMを受ける形となっていました。(これが正確にいつ頃だったか覚えていませんが。。) * そして1987年、NECが代表的オフコン「S3100シリーズ」を高らかに発表し、 1988年JBCCがIBM AS400を販売開始することにより、「メーカ」から脱落して「代理店」となって、「前史後編の時代」は幕を閉じます。 * これ以後は、IBM、富士通、NECの「新御三家」の時代に入ります。 「新御三家」の時代は、「オフコン寡占化」の時代であり、「オフコン成熟」の時代であり、そして「オフコン黄昏の始まり」でもありました。 そしてそれは「隠れオフコンの時代」への前奏曲でありました。 (次回へ続く。。) (注)JBCCについては続編の注釈をご覧ください。 | |
Re: 「隠れオフコン」の時代(2) 前史 | |
ターラヤン 2003-9-2 12:56:16
[返信] [編集] いつも詳しいお話をありがとうございます。 この前も書いた通り、私は80年代後半ぐらいからこの業界に入った人間なので、それ以前のことは資料でしか知りません。 昔のオフコンはピンキリでメーカーによってかなり機能差があったように思います。カシオのオフコンを見たときは、オフコンと言うよりもパソコンじゃないの、と思ったことを覚えています。(使ったわけではないので、外観でです。) EXCHANGEさんの書かれている通りに、私も昔教えられたことがあります つまりオフコンは、ユーザック(内田洋行)や三菱のように伝票発行機や会計機から発達したものと、富士通や日立のように汎用機(の超小型機)から来たものの2種類があるということです。 >* やがて、平成の時代に入る頃には多くのメーカは次第に淘汰され、 >「富士通」「NEC」「IBM」の「新御三家」ともいうべきOS開発力の >ある大メーカに主導権が移っていきます。 今は、世間的には未だにNECはオフコンから撤退したと思っている人が多いので、今の「オフコン御三家」といえば「IBM」「富士通」「三菱電機」という人も多いのではないかと思います。 実は、このサイトを立ち上げた理由の1つはそういう認識を改めてほしいということもあります。 | |
「隠れオフコン」の時代(2) 前史 | |
EXCHANGE 2003-8-29 14:34:23
[返信] [編集] * オフコンというのはいつ頃からこの世に現れたのでしょうか? 私はいわゆる情報学部系コースを出た人間ではなく、途中からこの分野に参入致しましたので、あまり始まりのほうのことは知りません。 * 私が初めてコンピュータに触れたのは、オリベッティ社の「???」(忘れた)という技術計算と兼用の超特大ポケコン(矛盾した形容詞!)にオ社の電動タイプライタ、そしてMLUと呼ばれる、透明なケースに入ったエンドレス磁気テープをランダムアクセス装置として加えた、非常に独創的な「オフコン」でした。 言語は記号を使ったアセンブラでした。 私はこれにカブレて「A↑ C/↓」等というソフト???を作って、売上伝票の作成、タイムカードから勤怠時間の計算などをしたことを覚えています。 もっともオ社は後に、オーディット7という結構大がかりな事務用コンピュータを発売し、言語もPL/1が使えるレベルまで到達しました。 また、超小型機においては名前は忘れましたが、「画面」をまず作成し、それから画面上の項目に手続きを記述するという、「フォーム」−>「コントロール」−>「イベント」を予感させる今思えばなかなか現代的な作風の言語があったように思います。 * やがて、三菱電機のMELCOMの登場です。MELCOM86という一世を風靡した「オフコン」は本体メモリ以外にディスク上のエリアもメモリとして使える、それから結構整備されたアセンブラ言語が使える、紙テープ装置有り、カラフルなデザインといった特徴がありました。MELCOM88はその後継機種です。 そしてこれを追うのが東芝のTOSBAC1150、1350という機種です。1350は私の記憶ではアセンブラっぽいのですがメイン、サブのセクションで区切られた記述、グローバル変数、ローカル変数といった本格的で大規模な言語があったように思います。 さらにもうひとりの雄は、リコーのRICOM8でした。これはでっかい墓石のような本体にコアメモリを入れ(電源を切っても中身が消えない!!)IBMのゴルフボールヘッドのプリンタを付け、紙テープ装置を備えた比較的素直な構成のマシンでした。 RICOM8Eでは磁気ドラム装置などがついていたと思います。 言語は素直な感じのアセンブラでした。 * これら3社は初期の「オフコン御三家」といえます。 どれも低価格(といっても100?500万円)くらいはしたと思う)、表示装置が「なし」もしくは「1行の表示管」、言語アセンブラ、バイトマシンではなくワードマシン(メモリ容量はXXバイトではなく、XXX語という表示になります)でした。 * この辺当たりは、今から25年ぐらい前でしょうか? * その当たりを境にして、ぼつぼつCOBOLコンパイラが使えるオフコンが登場します。また「御三家」よりは少し大仰で、大型機のやり方を下位機種に適用した感じのやや効率の悪いオフコンを「富士通」「NEC」あたりが販売攻勢をかけてきました。 * 外資系IBM S36、 JBC(このころはJBCCではなかった。JBCはとことんアセンブラ機でしたね)、日立、内田洋行、さらに シャープのHAYAC、 SEIKO社、 カシオ社までもが「オフコン」を発売してまさに百家争鳴、「オフコン時代の」ひとつのピークでした。 * やがて、平成の時代に入る頃には多くのメーカは次第に淘汰され、「富士通」「NEC」「IBM」の「新御三家」ともいうべきOS開発力のある大メーカに主導権が移っていきます。 (続く) | |
「隠れオフコン」の時代(1) 前書き編 | |
EXCHANGE 2003-8-26 11:49:03
[返信] [編集] * ダウンサイジングに始まったPCサーバの社会進出によって、世の中は「オープン系にあらずばコンピュータにあらず」という雰囲気に変わってしまいました。 そして「オフコン」は以前の先端的イメージから、「時代遅れ」「クローズ」といったマイナスイメージにすっかり転落してしまいました。オフコン各社は「オフコン」を生き延びさせるため「オープン連携」に力を入れるとともに、「オフコン」という呼び名のもつマイナスイメージを打ち消す(薄める)ため「オフコン」という名称をやめ、「オフィスサーバ」「ビジネスサーバ」等という新しい命名を使用するようになりました。 * いまや「オフコン」は「**サーバ」というまるでPCサーバと区別のつかない名前をつけられて、部品も、外見もPCサーバと見分けがつかない姿で「こっそり」と販売されるようになりました。 客「君、我が社はサーバに変えたいんだが、いったいこれはオフコンなのかサーバなのか、どっちかね?」 セールス「社、社長。こ、これはオフコンのソフト資産がそのまま使えるサーバでして。。つまり、サーバで。。」 * 私は現在のこのようなオフコンの姿を「隠れオフコン」と呼んでいます。現代はまさに「隠れオフコンの時代」といえるでしょう。 * 今回から、連載で「隠れオフコン」の生態、その傾向と対策、その将来などを考察してみたいと思います。リストラの危機に瀕する「隠れオフコン」への熱い応援歌です。 乞うご期待!! |
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