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1 リコーのオフコンとA-VXの未来
EXCHANGE 2003-8-15 17:46  [返信] [編集]

*リコーのオフコンのことが豆知識に書かれていましたが、少し補足させて下さい。リコーのオフコンは主なものが リコム8(エイト)->ペンコール->Ricom2000->Ricom3000->Ricom-I(アイ)->MXシリーズ->Ricoh-I(アイ)735D、736、740->独自製品撤退 となりました。(アイシリーズというのは2種類あります!) OS的にはRicom2000~Ricom-IがCOMPOSという独自OSでした。これがなかなか優れた製品でして、この上でcobolおよびRapidというコボルジェネレータが利用可能でした。cobolはmicrofocus製で超高速コンパイルが可能、Rapidは構造命令をもつcobolライクな言語で当時はNECのオフコン(システム100)などのcobolよりずっと進んでいたと思います。その後NEC、富士通などに押されて独自OSの開発を断念し、MXシリーズではUnixを採用、リコーI(アイ)シリーズではIBMのOS2、S36のSSP、AS400のOS400を採用しました。そしてそれらのOS上で、従来のRapidや同等の機能を持つユーティリティを提供する(OSごとNTに乗せてしまったNECのA-VXとはやり方は違いますが。。)という路線を採用しました。

 *COMPOSの頃は「このOSとリコムに社運をかけています!」という情熱的な言葉を口にしていたリコー社員が、独自路線をやめて他社のOSの上で動かしかけたとたんに、みるみるリコーのオフコンに対して情熱を失っていくのをまにあたりにしました。

そして「撤退」。。。

 *NT、Windows2000の上にA-VXを乗せる路線に切り替えたNECのオフコンが、かつてのリコーのオフコン事業と同じような運命をたどっているように見えるのですが。。。私の心配が杞憂であれば良いのですが、NECさん!どのように考えているのかしら。。。
2 Re: リコーのオフコンとA-VXの未来
ターラヤン 2003-8-17 12:25  [返信] [編集]

情報ありがとうございます。

リコー独自のオフコンのことはあまり知りませんでしたので、勉強になりました。

Iシリーズは単にAS400そのままだと思っていましたが、独自ソフトを載せていたのですか。



会社としての方針・思惑もありますから、社員一人の思いではどうにもならないところもあるでしょう。いずれにしてもオフコンは日本独自の文化ですから、なくなってほしくないものです。
3 Re: リコーのオフコンとA-VXの未来
江須扇 2003-8-24 13:16  [返信] [編集]

EXCHANGEさん初めまして、先ほどはご挨拶もせず失礼しました。

私もリコーの事を少し書かさせてください。



>OS的にはRicom2000~Ricom-IがCOMPOSという独自OSでした。

これは面白かったですね。ディレクトリ(ファイル管理)がCP/Mのよう感じで、ファイルの登録をする必要がありましたが、自動拡張を16ブロックまでできたのは、NECのITOSとくらべて画期的でしたね。当初のRicom2000が3FDDを標準装備にしたので、2FDDシステムのITOS-1マシンと比べたら運用性は抜群に良かったですね。

CPU内部ではJISで管理しており、FD出力はEBCDICのIBM形式とハード変換をしていた謎のマシンでした。

(ソートはJIS順でした。N5200もCPUはJIS、FDはEBCDICだったようですね?)



>これがなかなか優れた製品でして、この上でcobolおよびRapidというコボルジェネレータが利用可能でした。cobolはmicrofocus製で超高速コンパイルが可能、Rapidは構造命令をもつcobolライクな言語で当時はNECのオフコン(システム100)などのcobolよりずっと進んでいたと思います。

COMPOSのCOBOLは実際の開発がMicrofocus社(噂ではMS社?)かもしれませんが画面機能やプリンタのフォームオーバーレイ機能はITOSのCOBOLの機能を改善して取り込みITOSより簡単でITOSよりコンパイルスピードが無茶苦茶速かった独自仕様でしたね。

(ITOS-1では1000ステップで30分以上掛かったいたのが、2、3分でできて感激をしました。)

そのCOBOLを生成できるジェネレータRAPIDがSMART+APG(1978年のITOS以前のNEACシステム100のCOBOLジェネレータRPGを模した名前と記憶しております。)のようで会話形式とバッチ形式両方可能な簡易ソフトでしたね。

(その後のITOSのCOBOL/Sより良かったと思います。)

しかし、FDシステムから大容量HDDが中心になった時、DOSのようにディレクトリが階層構造になってなかったのと16ブロック以上拡張できないのが致命傷になりましたね。(あと日本語機能の漢字コードが独自仕様でカタカナ2バイトも致命傷でしたね)



そこでMX500シリーズのUNIXsystemⅤRelease4の登場で一気に解消ということだったと思いますが、

開発予算の関係か(?)COMPOS-COBOLの開発者いなくなったのか(?)

今度はmicrofocusのLevel-CobolのUNIX版そのマンマで独自仕様の画面機能等を追加して出荷しました。

S7200からEXP700に移行のようにならず、S7200からEXP100のAP環境/開発(実行)セットで移行するような方法です。 つまり、ファイルの指定方法、JCL等や各ユーティリティのパラメータ、メニュー、漢字コードその他、色々手作業する為、移行に莫大な工数(?)が掛かりました。

金額が高い、起動までのスピードが遅い、3.5インチにFDが移行していたのに5インチしか付かないその他いろいろと売れない営業が売れない言い訳をするには最適商品でした。という事で鳴り物入りで登場した割にはあまり売れなかったようですね。



沢山書きすぎたのでこの続きは次回という事で。



4 Re: リコーのオフコンとA-VXの未来
ターラヤン 2003-8-25 22:32  [返信] [編集]

リコーのオフコンのことはあまり知らないので勉強になります。ぜひ続きもお願いします。

確か昔同僚がN5200でプログラムを作った時、ソートしてからFD出力、ホスト側に持っていくとソートした順番がおかしくなるとか言っていました。JISとEBCDICの違いなのですね。



私自身、いかにも知っている風なことを書いていますが、この業界に入ったのは1980年代後半、つまりS100VSシリーズ、ITOS-4Vぐらいからしか知りません。それ以前については、先人の残した資料で書いています。

ITOS-1は、フロッピーディスク起動のOSでしょうか。うちにはITOS-1の使い方とか一覧表ならあるのですが、資料を残した人はITOS-1がどんなものか知っている人向けに作っているようで、ITOS-1の基本的なことがわからない私にはさっぱりです。
5 リコーのオフコン(続きです)
江須扇 2003-9-28 13:11  [返信] [編集]

前回からだいぶたってしまいましたが、続きを書きます。



MX500シリーズの前に最後のRICOMであるIシリーズの事を書く事を忘れてました。

このシリーズはMXシリーズと併売され、その後のIBMとのOEMのRicoh-iシリーズが出てからも併売されました。

名前が紛らわしいのでゴチャゴチャに話がなってしまいますが、RICOM-Iはそれ以前のCOMPOSが動く最後のシリーズということです。

このころはパソコン台頭し始めており、スタンドアロンオフコンは冬の時代に入ってしまったと言うか無くなるのではという時代でした。

リコーはマイツールという独自仕様のカルクソフト(リコーではワープロ機能、データベース機能もあるので、一つのソフトで出来るので融合ソフトと称していました。)のみを動かすソフトウェアもハードウェアも一体のパソコンを販売していました。

このマイツールのハードウェアは日立のOEMで、日立のB16シリーズと互換性がありました。

(後にIBMと提携した時はIBMのOEMのPS/55系もありました。)

ソフトウェアはソードのPIPSに似ていました。この辺の詳しい事情は忘れました。

本題に戻すと、オフコンデータのパソコンの有効利用という話が盛んになり、N5200のLANシリーズも評判になっていた時期でした。そこでLANシリーズに対抗してマイプラン、マイファイル、マイフィギア(マイグラフは他社で商標登録済みで使えなかったそうです)をリリースしました。

その後、このRICOM-Iシリーズも偶々か、意識しては解りませんがCPUがインテル互換でしたので、リブート方式でMS-DOSを動かすことができるようになりました。

(当初のRICOM2000はザイログ社のZ80と聞いていました)

そこで、マイツールも動かす事ができました。

今にして思えば、N5200にやり方に似ていました。PTOSという独自OSとMSDOSがやはり動きましたね。

その後、リコーとNECの仲は大人の関係(ビジネス上取引をするが仲が悪いという事です。)でむしろリコーはIBM側に属すイメージとなりました。

余談ですが日立とはパソコンとワープロのOEMの関係でそれ以上はなかったようです。

(俗に日立は製造部門と販売部門が分かれていて、販売部門の口出しは無く、営業が提携するという話がなかったようです。)

個人的にはCOMPOSは非常に安定したOSだったのでハードウェアの製造を諦めた時、COMPOSをN5200に乗せるか、日立のB16に乗せるか、その後のPS/55シリーズに乗せるかして生き延びて欲しかったと思います。

が死んだ子の年を数えてもしかたがないですね。

リコーは全く別の方法でRicoh-iシリーズを出しました。

IBMは所謂ベイパーウェア(VAPORWARE)でAS/400を直ぐにでも出すような事を言っていましたが、なかなか販売しませんでした。

従って提携当初は、PS/55のOS/2仕様をi735、System36をi736として販売していました。

スタントアロンの場合はCOBOL/2(NECとは無関係です)という名前でMicroFocus社のLebel?COBOLのIBMのOEM版というところでしょうか。リコーのCOMPOSの互換機能はサブルーチンで提供されました。

COMPOS->UNIX(MXシリーズ)->OS/2となったので、レベルアップではなくレベルダウンでした。

イーサネットではなく専用のネットワーク(トークンリング?)OS/2同士を繋いだクラスタ接続をLANマネジャーで繋ぐ事もできたのですが、COBOL/2のREAD LOCK が ステータスが帰ってくるだけで、自分でループしないと次に進んでしまい、排他機能の制御ができませんでした。

OS/2は最初のバージョンJ1.0で非常に不安定で苦労した記憶があります。

此れを業務で使ったのはリコーだけはなかったのでしょうか?

私から見ればリコーはIBMの体の良いOS/2のバグだし担当でした。

その後のJ1.1 PMプレゼンテーションマネージャもあまり良くなく、不安定になる位なら、J1.0を使い続けるという感覚でした。当時はPMのWindows切替より、J1.0の全画面切替の方が安定していた記憶です。

i736(S/36)はSSPのOS下でRPGでネイティブの画面一括入出力方式で開発する方法と

SIF接続ですが、NECでいうRDB/FILEアクセスキットの方式で、i735のCOBOL/2で開発しDBだけをi736を使うという項目単位入出力方式もとれました。

この部分は今から15年位前に出来ていたというのはIBMの技術力はすばらしかったと思います。

当時もNECもAVX/NETを使ったかどうかは忘れましたが、分散方式はとれたと思います。

しかし、集中方式でもNECの場合は項目単位入力方式なので特に必要がなかったと思います。

(汎用機のACOSとN5200では有効な手段だったようです。)

その後、AS/400が発売され、下位機をi740というシリーズ名で販売されました。

下位機と言ってもS/38クラスなので、多くは売れなかったと思います。1年位してから、本格的にS/36クラスの更に下のクラスが発売され、ようやく本格的に売る事ができたのですが、本来全てをOS/400での開発にできれば良かったのですが、売り方を間違えたので、市場にはCOMPOS、UNIX、OS/2、SSP、OS/400、A-VXと6種類のOS下で開発されたシステムあり。それをサポートしながら、増員はしたというもののいままで、COMPOSとA-VXだけしか知らない要員で元号対応、消費税対応、システム移植作業をしていた為現場は大混乱でした。

今となっては結果的にはUNIXとOS/2とSSPはつなぎであったので、COMPOSを引っ張るだけ引っ張って、A?VXで逃げていれば良かったと思います。PS/55にCOMPOSを乗せOS/400との分散方式も開発して本格的に安定してからOS/400のシステムを開発していれば混乱もすくなかったと思います。IBMとしてはNEC製品を売られる事が困るので巧く話をしたのでしょう。

まんまとIBMの戦略に乗っかった為、その後の運命はどうなったのでしょうか?
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