「隠れオフコン」の時代(1) 前書き編

8:「隠れオフコンの時代」(4) オフコンの「成熟」と「黄昏の予感」
EXCHANGE 09/27 02:52
* 時代は「新御三家の時代」に入りました。

  この時代は、「オフコン寡占化の時代」でもあり、「オフコン成熟の時代」でもありました。



* 1987年、われらがオフコン「S3100シリーズ」が発表され、また1988年にはAS/400が華々しく登場します。富士通のK600シリーズも同じく1988年です。



* この時代のオフコンについては、どのような特徴があるのでしょうか?

 後々のWindows時代の「クライアント/サーバ方式」を推進する人々が自分たちの優位性を主張するために、「オフコン」にたいして多くの誤った印象や評価をしてきましたので、



 == ここで、「オフコン」の名誉のためにも ==



ひとこと、述べておきたいことがあります。



* 彼ら(クライアント/サーバ推進者たち)は、次のように主張しました。



 (1)「オフコン」にはデータベースというものがない。

 (2)「オフコン」には日次更新処理という不便なものがあり、一度更新処理をおこなってしまうと赤黒修正以外、データの変更ができない。

 (3)「オフコン」には表計算のソフトがない。また蓄積されたデータをユーザが取り出して活用できない。

 (4)「オフコン」は本体でソフトを動かす方式でホスト側に負荷がかかり、クライアントサーバ方式に比べて時代遅れの方式である。

 (5)「オフコン」は高価でしかもメーカによる互換性がない。一度購入すると以後ずっとそのメーカに縛られてしまう。



* これらの主張がいかに間違ったものであるかは現時点では明らかです。



* というより、当時、「データベース」「エンドユーザコンピューティング」といった重要な技術革新は、かなり大規模なシステムにおいても実際に使えるレベルで、当時の「オフコン」がすでに実現していたものでした。

 B−treeveなどという、ISAMに毛の生えたような「データベース?」や、データベースの行レベルロックもままならないオープン系DBと違って、「オフコン」のそれは安定性と実用性を兼ね備えていました。



* また、「オフコン」のデータベースにはエンドユーザが実際に簡単に利用できる「フロントエンドツール」(NECで言えばRDBQ、RDBQ2、三菱でいえばEDUET)も充実していました。



* パソコンがDOS全盛の頃、「オフコン」メーカは内部仕様がオフコンで利用形態がパソコン的な「独自PC」を作り上げていました。NECで言えば、N5200−05、富士通で言えばFM??(忘れました)、IBMはOS/2がその代わりだったのでしょう。

 それらの「独自PC」は、「LAN−PLAN」「EPOCALC」といった表計算ソフト、「LAN−WORD」「EPOWORD」といったワープロソフト、さらに高度な地図表示や、予測計算ソフトまでも利用できました。

 そしてたいていの場合、N88BASICのような単純なBAICと違って、ISAMが使える「事務用BASIC」を備えており、小規模な事務処理ソフトが開発できるものでした。

COBOLも用意されていました。

 IBMにいたっては、端末PC上で、5250エミュレーション画面とPCソフトの画面を、それぞれ実行中に「ホットキー」の押下で切り替えたり、PC上のOS/2クライアントソフトからAS/400のデータベースに直接アクセスしたりする機能も備わっていました。



(ちょっと長くなりそうなので、次の書き込みに「続き」ます!!)



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