2:「隠れオフコン」の時代(2) 前史 EXCHANGE 08/29 14:34 * オフコンというのはいつ頃からこの世に現れたのでしょうか? 私はいわゆる情報学部系コースを出た人間ではなく、途中からこの分野に参入致しましたので、あまり始まりのほうのことは知りません。 * 私が初めてコンピュータに触れたのは、オリベッティ社の「???」(忘れた)という技術計算と兼用の超特大ポケコン(矛盾した形容詞!)にオ社の電動タイプライタ、そしてMLUと呼ばれる、透明なケースに入ったエンドレス磁気テープをランダムアクセス装置として加えた、非常に独創的な「オフコン」でした。 言語は記号を使ったアセンブラでした。 私はこれにカブレて「A↑ C/↓」等というソフト???を作って、売上伝票の作成、タイムカードから勤怠時間の計算などをしたことを覚えています。 もっともオ社は後に、オーディット7という結構大がかりな事務用コンピュータを発売し、言語もPL/1が使えるレベルまで到達しました。 また、超小型機においては名前は忘れましたが、「画面」をまず作成し、それから画面上の項目に手続きを記述するという、「フォーム」−>「コントロール」−>「イベント」を予感させる今思えばなかなか現代的な作風の言語があったように思います。 * やがて、三菱電機のMELCOMの登場です。MELCOM86という一世を風靡した「オフコン」は本体メモリ以外にディスク上のエリアもメモリとして使える、それから結構整備されたアセンブラ言語が使える、紙テープ装置有り、カラフルなデザインといった特徴がありました。MELCOM88はその後継機種です。 そしてこれを追うのが東芝のTOSBAC1150、1350という機種です。1350は私の記憶ではアセンブラっぽいのですがメイン、サブのセクションで区切られた記述、グローバル変数、ローカル変数といった本格的で大規模な言語があったように思います。 さらにもうひとりの雄は、リコーのRICOM8でした。これはでっかい墓石のような本体にコアメモリを入れ(電源を切っても中身が消えない!!)IBMのゴルフボールヘッドのプリンタを付け、紙テープ装置を備えた比較的素直な構成のマシンでした。 RICOM8Eでは磁気ドラム装置などがついていたと思います。 言語は素直な感じのアセンブラでした。 * これら3社は初期の「オフコン御三家」といえます。 どれも低価格(といっても100?500万円)くらいはしたと思う)、表示装置が「なし」もしくは「1行の表示管」、言語アセンブラ、バイトマシンではなくワードマシン(メモリ容量はXXバイトではなく、XXX語という表示になります)でした。 * この辺当たりは、今から25年ぐらい前でしょうか? * その当たりを境にして、ぼつぼつCOBOLコンパイラが使えるオフコンが登場します。また「御三家」よりは少し大仰で、大型機のやり方を下位機種に適用した感じのやや効率の悪いオフコンを「富士通」「NEC」あたりが販売攻勢をかけてきました。 * 外資系IBM S36、 JBC(このころはJBCCではなかった。JBCはとことんアセンブラ機でしたね)、日立、内田洋行、さらに シャープのHAYAC、 SEIKO社、 カシオ社までもが「オフコン」を発売してまさに百家争鳴、「オフコン時代の」ひとつのピークでした。 * やがて、平成の時代に入る頃には多くのメーカは次第に淘汰され、「富士通」「NEC」「IBM」の「新御三家」ともいうべきOS開発力のある大メーカに主導権が移っていきます。 (続く) |