「隠れオフコン」の時代(1) 前書き編

10:「隠れオフコンの時代」(5) 隠れオフコン傾向と対策
EXCHANGE 09/27 09:34
* 1995年を境にして、オフコンは冬の時代を迎えます。



* 実は冬の時代はすでにその2〜3年前から始まりかけていました。

 バブルの崩壊後の不況は、それまでの「ソフトは高くついて当たり前」「ハードよりソフトが高額」「ソフトで高く取ったのを自慢する」などといったオフコン業界に蔓延していた「ソフト至上主義」を一夜にして砕いてしまいました。



 それにWindows95、NetwareといったPC系のプロダクトの登場がとどめを刺しました。



 「そんな安い予算ではいいソフトは出来ないぞ!相場はもっと高い!」などといって顧客たちに迫っていたメーカ+代理店に対して顧客たちが逆に反乱を始めました。



** 「パソコンで開発すればもっと安くて、わかりやすいものが出来る、それでやってくれ!!、オフコンよりそっちがいい!!」 **



* パソコンでの新しいシステムは最初DOSクライアントをベースにして、「B-Treeve+DBmagic」「LLL+パソコンCOBOL+iii」「ル・クローン」などで始まり、次第にwindows版に移行していきました。(windows版に転換するのが遅れてその後やや下火にになったツールもたくさんあります。DBマジックもそうですし、それのバッチ版ともいえるウィズダムは消えてゆきました。)



 OSもNetwareから次第にNTサーバに換わっていきました。これらの新システムは安定性やPCの管理費用も含めたトータルコストはともかく発注時点でのハード+ソフトの費用を劇的に低下させるように見えました。



* そして何より重要なことは、これらPC系のシステムには「オープン系」「オープンシステム」という「開かれたすばらしい価値あるもの」を意味する名前が付けられ、一方オフコンには「閉鎖的で接続性が悪い」という暗いイメージの「クローズド」という呼び名がつけられました。



* かつて汎用機オフコン陣営は「ホストコンピュータ」「オンラインリアルタイム」「SIS(戦略情報システム)」といったプラス価値をイメージする言葉を数多く持っていました。



* しかし、「オープンシステム」というPC側の言葉を前にしてオフコン側は新たなプラス価値をもつ言葉を見いだすことが出来ませんでした。

 わずかにオフコン陣営が見つけたのは「過去資産の継承」というどちらかといえば後ろ向きな言葉にすぎません。



** そうです、「失語症」にかかってしまったオフコンは自らの価値を主張することができず、「ビジネスサーバ」「オフィスサーバ」などといった一見オープン系サーバと紛らわしい呼び名でこっそりと販売される「隠れオフコン」に身を落としてしまったのです **



* 今や、「オフコン」という呼び名そのものが「時代遅れ」といったイメージを持ってしまいました。

 このような事態に対し各メーカはどのような対策を講じていったのでしょうか?



 それは大きく分けて3つに分類できます。



 (1)「オフコン」から撤退してオープンシステム上でかつてのオフコン時代と同様の開発実行環境を提供する。



 (2)ハードのみパソコンサーバの部品を使用してコストダウンを計りつつ、あくまでも中身のOSは「独自」を貫く。または複数プロセッサを使用してNTサーバなども1台のマシンで稼働させ連携を取る。



 (3)NTサーバOS上に「独自OS」を組み込む。



 といった方法です。



* それでは、次回コラムから、各メーカ別の「オープンシステム対抗の傾向と対策」を順に探ってみましょう!!



(続く)







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