1:ユーザの立場から見た:「リコー文化」について EXCHANGE 09/29 00:10 * 「リコーのオフコン」に関して、江須扇さんの興味深いお話をお聞かせ頂いてうれしく思っています。私はコンピュータ関連のコースの出身ではなく、また業界に勤めたりした経験もなく、基本的にユーザとしての立場でしか接することが出来ませんでしたので、江須扇さんのお話の中で、供給する側の方々の「楽屋裏」をかいま見た感じがして、「なるほど、あの時そうだったのか。。」と今になって納得させられた気がします。 * そこで、「ユーザの側」からみたリコーのオフコン、リコーの文化についてすこし話をさせていただこうかと思います。 * リコーの場合、自社製品も含めて様々なメーカとOSを手がけたため一見して「脈絡のない」感じがしますが、実はそこには共通した「文化」のようなものがありました。 * それは、 (1)RAPSと呼ばれる「標準化」の文化 (2)「販売管理標準システム」と呼ばれる一連のパッケージソフト (3)「ペンタッチ入力」に始まるMMI(マン・マシンインターフェイス) (4)RAPID −−> RSPF とつながる独自開発言語 です。 このうち(3)だけが独自なハードに関わっており、他はすべてソフト製品(知的資産)です。 いわゆるコンピュータメーカとしての確固たるものがなかったリコーは、むしろこうしたものでもって勝負しようとしたようです。 * COMPOS以前の「ペンコール」というマシンの頃に(1)〜(3)の原型が作られ、COMPOSの時代(リコム2000)になって確固たるものになりました。(4)についてはCOMPOSになって出現したのですが、ペンコールの後半の時期には「REAL−1」(RICOH easy adaptable LANGUAGE)というものがありましたからこれがその前身と言えば前身でしょうか。。 * いずれにせよこれらはリコーオフコンの独自文化として、機種が変わりOSが変わっても少しずつ修正を加えて移植されるのが常でした。 これらは「仮想独自マシン」「仮想ケースツール」としてリコーの製品の独自性と統一性、そして開発の効率化を担い続けたと思われます。 * ユーザからみてこれらはNEC、IBMといった「メーカ」にない「ユニーク」で「小回りの利く」すばらしいものでした。 またリコーは常に時代を鋭く先読みするのがうまく、リコーが始めたことは少し後になると世の中の主流になる、といったことがよくありました。 * ただ、リコーの弱点は、すばらしい「発想」で時代に先駆けて手がけるのは良いのですが、肝心の「ものになる」までにやめてしまい、もう少し根気よく続けていれば時代の主流になれたのに。。というものばかりでした。 * 「業務パッケージ」にしてもオービックのようにはなれませんでしたし、 「RSPF」にしてもLANSAというところまで行きませんでしたし、「UNIXのビジネスマシンでの展開(MX500)」も、LINUXの時代まで持ちこたえることが出来ませんでしたし、「MYツールとPC事業」だって消えていきました。。(MYツールは、時代に先駆けて(?)フリーウエアになってしまいました) 最近は「LOTUSノーツ」に凝っておられるようですね。 * 「販売のリコー」といわれるように、時代に先駆けて「売れるもの」にシフトしていく、 というのもユーザにとって「いい面」もあり「困った」面もあります。 リコーの尻馬に乗って「S36、OS2」+「ペンタッチ」を使ってシステム構築したあのパン製造会社、今頃はどうしてるかなあ?? 高価なRSPFを導入したあのIBM代理店、今頃はどうしてるかなあ?? ちなみに私はリコーのこのような性質が途中からわかってきましたので、熱心な売り込みにもかかわらず「RSPF」は買いませんでした(よかった!)。 だってそのときのセールストークでは、「IBMだけでなく、NECのCOBOLも一部のパターンが生成できる。今後すべてのプログラムパターンが生成できるようになる」とおっしゃていたにもかかわらず。。 * 私が、ダサイ(失礼!)NECに鞍替えしたのは、その「根気の良さ」を評価してのことです。 * でも、今でもリコーのオフコン(特にCOMPOS系)は「すばらしい」とおもっており、ちなみに我が社ではRAPIDで組んだシステムで、現在も「リコムI(アイ)」が保守契約もなしで3台も実稼働しています。今や我が社は「世界最大のリコムユーザ」となりました!! |