「隠れオフコン」の時代(1) 前書き編

7:(続き)「隠れオフコンの時代」(3) の(注)
EXCHANGE 09/26 20:39
* JBCCに関する注釈 **

 

前回の文章が規定の長さをオーバーして書き込みができませんでしたので、(続き)を書かせて頂きます。



(注)JBCCの名誉のために付け加えますと、当時すでに優秀な「パッケージソフト」を多数持っており、システム構築に強みを持っていたJBCCが「メーカ」を離脱したのは決して敗北ではなく、積極的な意義があったと筆者は思います。その後のオフコン各社の流れを見てもそのことは明らかです。早くからシステムインテグレーションの方向に進んだJBCCの方針は高く評価されるべきです。



8:「隠れオフコンの時代」(4) オフコンの「成熟」と「黄昏の予感」
EXCHANGE 09/27 02:52
* 時代は「新御三家の時代」に入りました。

  この時代は、「オフコン寡占化の時代」でもあり、「オフコン成熟の時代」でもありました。



* 1987年、われらがオフコン「S3100シリーズ」が発表され、また1988年にはAS/400が華々しく登場します。富士通のK600シリーズも同じく1988年です。



* この時代のオフコンについては、どのような特徴があるのでしょうか?

 後々のWindows時代の「クライアント/サーバ方式」を推進する人々が自分たちの優位性を主張するために、「オフコン」にたいして多くの誤った印象や評価をしてきましたので、



 == ここで、「オフコン」の名誉のためにも ==



ひとこと、述べておきたいことがあります。



* 彼ら(クライアント/サーバ推進者たち)は、次のように主張しました。



 (1)「オフコン」にはデータベースというものがない。

 (2)「オフコン」には日次更新処理という不便なものがあり、一度更新処理をおこなってしまうと赤黒修正以外、データの変更ができない。

 (3)「オフコン」には表計算のソフトがない。また蓄積されたデータをユーザが取り出して活用できない。

 (4)「オフコン」は本体でソフトを動かす方式でホスト側に負荷がかかり、クライアントサーバ方式に比べて時代遅れの方式である。

 (5)「オフコン」は高価でしかもメーカによる互換性がない。一度購入すると以後ずっとそのメーカに縛られてしまう。



* これらの主張がいかに間違ったものであるかは現時点では明らかです。



* というより、当時、「データベース」「エンドユーザコンピューティング」といった重要な技術革新は、かなり大規模なシステムにおいても実際に使えるレベルで、当時の「オフコン」がすでに実現していたものでした。

 B−treeveなどという、ISAMに毛の生えたような「データベース?」や、データベースの行レベルロックもままならないオープン系DBと違って、「オフコン」のそれは安定性と実用性を兼ね備えていました。



* また、「オフコン」のデータベースにはエンドユーザが実際に簡単に利用できる「フロントエンドツール」(NECで言えばRDBQ、RDBQ2、三菱でいえばEDUET)も充実していました。



* パソコンがDOS全盛の頃、「オフコン」メーカは内部仕様がオフコンで利用形態がパソコン的な「独自PC」を作り上げていました。NECで言えば、N5200−05、富士通で言えばFM??(忘れました)、IBMはOS/2がその代わりだったのでしょう。

 それらの「独自PC」は、「LAN−PLAN」「EPOCALC」といった表計算ソフト、「LAN−WORD」「EPOWORD」といったワープロソフト、さらに高度な地図表示や、予測計算ソフトまでも利用できました。

 そしてたいていの場合、N88BASICのような単純なBAICと違って、ISAMが使える「事務用BASIC」を備えており、小規模な事務処理ソフトが開発できるものでした。

COBOLも用意されていました。

 IBMにいたっては、端末PC上で、5250エミュレーション画面とPCソフトの画面を、それぞれ実行中に「ホットキー」の押下で切り替えたり、PC上のOS/2クライアントソフトからAS/400のデータベースに直接アクセスしたりする機能も備わっていました。



(ちょっと長くなりそうなので、次の書き込みに「続き」ます!!)



9:(続き)「隠れオフコンの時代」(4) のつづき
EXCHANGE 09/27 04:15
** 「隠れオフコンの時代」(4)の後半部分です **



* さて、「日次処理」云々についてはシステム設計の問題であり、多分、中規模以上のシステム構築の経験のない当時のパソコンLANソフト開発者には、後日のデータ修正によって発生する諸々の整合性の問題とかが理解されていなかったのでしょう。

 例えば、パソコンソフトによくある、さかのぼって何回も前の請求明細書を修正再発行ができる機能とかも、大規模になれば締め切りや運用上かえって問題を発生させます。日次データにおいてもまたしかりです。



* 「オフコンと違ってわれわれは日次処理をせずデータに日次フラッグを立てる」などとおっしゃっておられる方も本などでお見受けしましたが、これって日次処理そのものじゃあ。。



* もっとも、「日次処理をしない」というのが、「マスタ集計を毎日せずに締次に一気に集計作表などする」 という意味でしたら、これまたシステム設計の問題でして、「オフコン」においてもよくあるパターンです。



* 指摘(4)の、「本体ですべてのソフトを云々」は、キョービ「サーバサイド」がはやりの時代で、Windowsですらターミナルサーバだのメタフレームなどとホスト(じゃなくてサーバでしたっけ)に重い負荷をかけておられるのでは。。

 クライアント/サーバ方式こそ現時点では「時代遅れ」になっているようですので。。でもその当時は分からなかったのでしょうね。



* 最後に、オフコンは「他社と互換性がなくて一度購入すると同じメーカをずっと使い続けなくてはならない」という主張は、現実のユーザの立場から見れば大して意味のないことです。

 というのは、自社開発でない限り、ユーザは「システム屋」と取引するのであり、「マイクロソフト」と取引するわけではないのです。

 「オフコン」だって「システム屋」が気にくわなければ「他のシステム屋」にリプレースするのであり、PC系だって同じこと。

 そのとき前のシステム屋のソースプログラムを次のシステム屋がそのまま引き継げるでしょうか? たいていは「ソース」を見せてくれない、次のシステム屋が違うツールで開発している、などで「仕様書」だけ参考にして作り直しってケースがほとんどでは。。

 それにリプレースするということは前のシステムがそもそも気に入らない場合が多いわけだから、そのまま引き継いでもしかたなかったりするのです。



 要するにこれらは「オフコン」固有の問題ではないと言うことです。



* オープン系に関して間違いなしにいえることは、乗せ換えの際「データの取り出しがしやすい」つまり「普段、データが容易に盗める」ということぐらいでしょうか。。

 (これは少し問題発言ですね。 現状では「オフコン」だってすっかり便利、というか危なくなってしまいまして、各種連携ツールにて簡単にデータがパソコン上に取り出せてしまいます。

 「オフコン」において「初期メユー」+「セキュリティ」にて厳重にオペレータの操作を制限する仕掛けになっているのに、「SKYLINK」などで同じユーザ名を使ってすべてのデータベース項目に簡単にアクセスできてしまうというアンバランスは一体何なんでしょう?? え?項目別のセキュリティをかけると良い、ですって?! そんなことしたら基幹アプリケーションが困るでしょう? 

 基幹のパスワード教えるなですって?! 

 SKYLINK使う人と、基幹APを使う人を別々に雇うこと御社では出来ます???)





* さて、この時代は「オフコン」成熟の時代であるとともに、ぼつぼつPC?LANによるシステム構築が盛んになりつつあり、「主役」はいわゆる「ネオダマ」(ネットワーク、オープン、ダウンサイジング、マルチメディア)に移っていきます。



* 1993年、NECシステム7200が発売されますが、このマシンはNECにとって「最後の純粋オフコン」であり、同時に「パソコンLANとの接続性」(連携という意味ではあまり強力だったとはいえません)を重視した製品でした。



 決して長い期間販売されたマシンではありませんが、その4期モデル(最終モデル)においては、NECが培ってきたITOS−>AVXの一つの頂点が(いつものNECの性格のとおり、強い自己主張をすることもなく)マシンの中に「静かに」息づいていました。



* そして、1995年。。

  Windows95の発売。

  新しい時代の幕は切って降ろされました。

  「Windows」「Windows」「Windows」。。

  そして「隠れオフコンの時代」が始まります。



(続く)



10:「隠れオフコンの時代」(5) 隠れオフコン傾向と対策
EXCHANGE 09/27 09:34
* 1995年を境にして、オフコンは冬の時代を迎えます。



* 実は冬の時代はすでにその2〜3年前から始まりかけていました。

 バブルの崩壊後の不況は、それまでの「ソフトは高くついて当たり前」「ハードよりソフトが高額」「ソフトで高く取ったのを自慢する」などといったオフコン業界に蔓延していた「ソフト至上主義」を一夜にして砕いてしまいました。



 それにWindows95、NetwareといったPC系のプロダクトの登場がとどめを刺しました。



 「そんな安い予算ではいいソフトは出来ないぞ!相場はもっと高い!」などといって顧客たちに迫っていたメーカ+代理店に対して顧客たちが逆に反乱を始めました。



** 「パソコンで開発すればもっと安くて、わかりやすいものが出来る、それでやってくれ!!、オフコンよりそっちがいい!!」 **



* パソコンでの新しいシステムは最初DOSクライアントをベースにして、「B-Treeve+DBmagic」「LLL+パソコンCOBOL+iii」「ル・クローン」などで始まり、次第にwindows版に移行していきました。(windows版に転換するのが遅れてその後やや下火にになったツールもたくさんあります。DBマジックもそうですし、それのバッチ版ともいえるウィズダムは消えてゆきました。)



 OSもNetwareから次第にNTサーバに換わっていきました。これらの新システムは安定性やPCの管理費用も含めたトータルコストはともかく発注時点でのハード+ソフトの費用を劇的に低下させるように見えました。



* そして何より重要なことは、これらPC系のシステムには「オープン系」「オープンシステム」という「開かれたすばらしい価値あるもの」を意味する名前が付けられ、一方オフコンには「閉鎖的で接続性が悪い」という暗いイメージの「クローズド」という呼び名がつけられました。



* かつて汎用機オフコン陣営は「ホストコンピュータ」「オンラインリアルタイム」「SIS(戦略情報システム)」といったプラス価値をイメージする言葉を数多く持っていました。



* しかし、「オープンシステム」というPC側の言葉を前にしてオフコン側は新たなプラス価値をもつ言葉を見いだすことが出来ませんでした。

 わずかにオフコン陣営が見つけたのは「過去資産の継承」というどちらかといえば後ろ向きな言葉にすぎません。



** そうです、「失語症」にかかってしまったオフコンは自らの価値を主張することができず、「ビジネスサーバ」「オフィスサーバ」などといった一見オープン系サーバと紛らわしい呼び名でこっそりと販売される「隠れオフコン」に身を落としてしまったのです **



* 今や、「オフコン」という呼び名そのものが「時代遅れ」といったイメージを持ってしまいました。

 このような事態に対し各メーカはどのような対策を講じていったのでしょうか?



 それは大きく分けて3つに分類できます。



 (1)「オフコン」から撤退してオープンシステム上でかつてのオフコン時代と同様の開発実行環境を提供する。



 (2)ハードのみパソコンサーバの部品を使用してコストダウンを計りつつ、あくまでも中身のOSは「独自」を貫く。または複数プロセッサを使用してNTサーバなども1台のマシンで稼働させ連携を取る。



 (3)NTサーバOS上に「独自OS」を組み込む。



 といった方法です。



* それでは、次回コラムから、各メーカ別の「オープンシステム対抗の傾向と対策」を順に探ってみましょう!!



(続く)







11:「隠れオフコンの時代」(6) 東芝の場合
EXCHANGE 09/27 10:34
* 「オープン対策」として東芝が講じたのは前回のコラムでの対策(1)の方法でした。



* ノートPCなどで気を吐いていた東芝は「オフコン」には未来がないと考えたのでしょう。

  すでにVシリーズ、Qシリーズの次に「TPシリーズ」をリリースした頃から次第にオフコン離れは始まっていたのかもしれません。

 TPシリーズのOSは、ファイルシステムなどを見ても、UNIXが透けて見えるものでした。わたしは東芝のオフコンは1150、1350時代しか触ったことがありませんのでTPのOSの深層部が本当にUNIXだったのかどうかよく分かりません。

 しかし、一見した感じではあきらかにUNIXを下敷きにしているように見えました。(まあそれは三菱のDP−UXも同じかもしれません。。)



* 逆に、ひょっとしたら東芝はTP投入の時点ではUNIXのAPIを取り込んでもう一勝負しようと思っていたのかもしれません。

 オフコンの延命対策(失礼!)としてUNIXを使う というのは、かつて海外メーカにもよくありましたから。。(例えばNCRなど)



* しかし東芝は「TP-CARE」という開発実行環境を提供することと、IBMのAS/400をオールタナティブとすることでオフコン分野から撤退することになったようです。



* ただし撤退はかなり緩やかに行われた模様で、4、5年前私がよく知っている大阪方面の東芝のディーラの社長にお伺いしたら

 「まあ、東芝のオフコンは以前からやめる、やめると言い続けてここまで引っ張ってきましたよってに。。メーカは200X年までは。。とかいうてます。 パソコンCOBOLやコンバータも提供してもらってま。 ところで(EXCHANGE)さん、あんたも東芝やってみまへんか? COBOLやったら出来まっしゃろ?」



 (その後撤退と乗せ換えは多くの東芝ディーラにとってどのように進められたのか私には情報がありません。どなたかご存じの方がおられましたらお教えください。)



* さて、TP-CAREによる変換後の実行環境ですが画面をWEBブラウザにて実行するWEB?COBOLのようです。

DBはoracle、SQLサーバなどであったように思います。

(正確なことは情報掲載のURLを忘れてしまったので確認できません)



(続く) 予告:次は「三菱」の予定です。





12:「隠れオフコンの時代」(7) 三菱の場合
EXCHANGE 09/27 12:10
* 三菱のお話をする前に「日立」のellesあたりはどうなってしまったのでしょう?いつの間にか日立さんもオフコンから撤退してしまったようです。その経緯も、乗せ換え、ユーザ救出方法も聞いていません。



* 東芝、日立と並んでその次に「撤退組」になりそうに見えた三菱は意外に「根性」を発揮して善戦しています。

 これは私には驚きでした。



* 三菱のとった方法はタイプ(2)に当たりましょうか。

  ハード的にPC系の部品を使っているかどうかは私には分かりません。しかも現行機種「ENTRANCE」のHPを見ても、ソリューションやサービスなどを全面に出した、徹底した隠れオフコンぶりで、独自OSと別にwindowsサーバを搭載できるのかどうかもよく読み取れません。しかしミドルウエアの説明の感じからしてこのマシンは「独自OS DP−UX」のみで動かすタイプではないかと思われます。OSのベースはUNIXっぽい感じです。NFSやメールサーバ、WWWサーバのサービスもあるようです。



* 三菱には以前から「グレオ」というDB検索用の別プロセッサが搭載可能でした。(NECでいえばDBエンジンというやつです。といってもDBエンジンはプロセッサでなく別メモリですが。。)



* 言語も以前からの「PROGRESS(プログレス)」という独自言語が使えます。(もちろんCOBOLも使用可。)

 このPROGRESSというのは、IBMのRPGをモデルにして作られた感じでプログラムを「。。仕様書」と呼ばれる単位で記述するのが特徴です。(ずっと以前の古いOSの時代にはRPGIIも使えました)

 ただしPROGRESSの場合は画面入力の仕様書の部分がかなりRPGよりよく出来ていて、入力の方法が汎用機っぽい「画面単位での入力」と、A-VX、PCなどでおなじみの「項目単位でのaccept入力」の両方が可能です。

 昔、私が旧バージョンのPROGRESSで組んでいた頃は構造化されたIF文などが使えないなど、きわめて制約が多かったのですが、現在のPROGRESSはかなり使いやすくなっている感じです。バッチタイプのフローの場合、「RPGサイクル」のようなジェネレータ機能がありますので楽ちんです。全体にRPGよりは使いやすく生産性も高いと思います。

 この世界の方は顧客の囲い込みのためもあって、あまりCOBOLはお使いにならず、PROGRESSが多いようです。



* 三菱には業種によって「固定客」があるのでしょうか?(三菱自動車とか。。) OSの機能などもNECのA-VXなどよりずっとしっかりしており、今後の持久戦、長期戦に向きそうな感じです。



* 一時、東芝のオフコン撤退を受けて、受け皿となるべく、「積極的な販売攻勢をかけている」とマスコミに報じられたこともあります。



(続く) 次回は、「富士通」の予定です。





13:「隠れオフコンの時代」(8) 富士通の場合
EXCHANGE 09/27 21:06
* 前回の「三菱」にかんして少し書き忘れたことがありますので、まずその件から。。



* 私は現在では三菱のオフコンから遠ざかっているものでよく分からないのですが、現在の「ENTRANCEシリーズ」の少し前の時期に「RXシリーズ」という別系統のマシンがあったように思います。全くの推測ですが、(RISC+オフコンOS)で、ひょっとしたらインテル系の別プロセッサを追加してNT系のOSも走ったのではなかったでしょうか?

 この点についてもご存じの方がおられましたらお教えください。



* 三菱の場合、隠れオフコンとして「ソリューションサーバ」という名称を使っています。 オフコンかオープン系サーバかといったことを詮索しないでください、大事なことは「ソリューション」なのですから。。という声が三菱側から聞こえてくるような感じです。



** さて、「富士通」の場合です。



* もともと富士通は基本ソフトウエア開発力のある会社だと思います。 オフコンに関してもF5系、F3系以外に専用端末用のGUIっぽいOS(GX??)も擁しておりました。(もっともF3系はUSAC発ですけれども。。 このあたりの事情はターラヤン氏の最新の書き込みをご参照ください)

 従って、純粋オフコンスタイルで、ホスト+ピュア端末の組み合わせでもマルチウィンドウソフトが出来るようです。もちろんwinを使ってのエミュレーションも可能です。(最近はやはりこちらをメインにして販売しているようですが。。)



* 現在のOS「ASP」(F5系?)に関してもDB機能その他でNECのA-VXを遙かにしのぐ充実ぶりです。基本的にIBMのAS/400のコマンド体系を強く意識して作られているようです。

 

* 隠れオフコンとするに際して、タイプ(2)のスタイルを採用し、ハードウエア的にはPC部品を使用し原価を下げ、中身は「純粋オフコンOS」を使っています。プロセッサもインテルです。名称はPRIMERGY6000(当初はGRANPOWER)という他のIAサーバと統一名称を使用してマギラワしく(隠れやすく)しています。



* ただ、開発力(パワー的にということです)のあるメーカらしく、単純に隠れオフコン化するだけでなく、NTやOS400のようにマイクロコード方式を採用して今後の移植性を高めたり、UNIXのAPIを移植しAPACHEなども使えるようにするなど、かなりの内部改革を行っています。今後のことを考えると、かなり強力な備えです。



* 富士通の場合、問題はむしろ今後の販売政策にあるのではないでしょうか?



* まず「隠れオフコン化」へ進む前の段階で、オフコンを廃止してUNIXに移行(実行環境提供型か?)することも検討した模様で、一時はかなり迷走したようです。



* 現在もオフコン分野は販売が低迷していると聞いています。

 一時はHPに「オープン系と比較した富士通オフコンのメリット」を掲載し、「今後とも力を入れていきます。基幹業務を中心にご活用ください」といった記述があったのですが、このごろは力強い調子の表現がすっかり影をひそめてしまいました。



* なまじ開発力のあるメーカだけにいろんなパターンへの変更が可能かと思われ、今後のトップの判断によって大きく路線が変わることも考えられます。



14:「隠れオフコンの時代」(9) IBMの場合
EXCHANGE 09/28 04:10
* オープン化の流れに対して、IBMオフコンは国内他社と全くちがった姿勢で臨んでいます。



* というか、このメーカだけが唯一自社オフコンに強い誇りと自信をもって向かっています。 ホストコンピュータの老舗、この分野でのリーダとしての意地でしょうか。



* まず、ハード的なところはPC部品やインテルプロセッサを使用せず、独自ハードで構成しています。そのかわり自社製品内の部品共有化をすすめ、とくにAIX(UNIX)製品との部品共通化を計っています。プロセッサにpowerPCを使用しているのもその辺が関係しているようです。(なお、NT用に専用プロセッサを増設することも可能なようです)

 powerPCプロセッサは64ビット、銅線技術を取り入れるなど常に最先端を心がけています。 製品デザインにもIBMらしいこだわりをみせ堅牢さと力強さを象徴するBLACKを採用しています。



* もちろんOSも独自の「OS400」、堅牢さ、資産継承性(IBMでは「お客様の投資の保護」とよんでいます)、だけでなく先進性も売り物にしています。

 このOSの基本設計をした「フランク・ソルティス博士」をカリスマにして顧客に熱狂的な「AS/400信者」をつくりだすことに成功しています。



 「ASでなけれはコンピュータじゃない、NTなんて話にならん!」 て感じです。



 時々、ソルティス先生が来日され「ファン」との交流の場が設けられているようです。



* しかし、単なる人気ではありません。

 OSの内容はきわめて強力です。

 基本設計がしっかりしており、当初から全面的にRDBを採用し、DBの仕様においても現在のオラクルなどと遜色のない設計です。 つまり「オフコン」という名の「オープンサーバ」といってもよい中身です。 もちろん、「バッチジョブ」での強力な制御機能、サブシステム間のリソース配分の調整、などホストコンピュータ特有の機能がふんだんに盛り込まれています。



* UNIXとの互換(UNIX化?)も進められており、さらにWWWサーバ、JAVA言語の使用、JVMの実装も行われています。オールJAVAでの開発も可能です。



* 「ホスト」「UNIX」「PC」 

 現在のコンピュータ界の3大勢力のそれぞれの雄の代表的製品

 「IBM」OS400、OS390

 「サン」 SOLARIS

 「MS」 Windows2000



 これらの内容をよく見れば、さすがに「超一流はすばらしい」「やっぱりコンピュータはアメリカが本場だな?」と思わざるを得ません。



* だいぶIBMのちょうちん持ちをしてしまいましたが。。



* ところが、これらの経緯にもかかわらず。。。

  AS/400という名称を取り下げ、「iサーバ」というネーミングに変更。 IBMよ、おまえもか?!



* AS/400(あえてこう呼ばせて頂きます)の弱点は、「価格」でしょう。 A-VXでいえばEX620クラスの顧客にはASはちょっと値段的にしんどいと思います。

 IBM側も、最近は「domino専用サーバ」など用途向けAS/400を発売するなど、やや専用化、高級化路線に傾いているようです。(日本の中小企業などはどうでもよいと??)



* 代理店も、大企業ユーザのコンピュータ部門が代理店化したところが多く、下請けさんなどへの系列販売でけっこう生活できたので、熾烈な売り込み値引き合戦には弱く、中小企業への売り込み(特に地方で)は弱いようです。



* 国内のすべてのオフコンが死滅してもASは最後まで残るでしょう。  

 ただ、将来大規模のみになっていって、「私たち」に手の届かないものになってしまっては。。(なくなったのと同じです)



(続く) 次回はいよいよ、我らがNECです。(こうご期待)



15:「隠れオフコンの時代」(10) NECの場合
EXCHANGE 09/28 05:45
* さて、いよいよNECです。



* 名称の上での隠れオフコン化はかなり早い時期から行われてきました。Aシリーズのころには「オフィスプロセッサ」という名称、S7200になってからは「オフィスサーバ」という名称を使っていました。



* 1997年、NECは突然あっと言わせる方法の製品をひっさげてオープン化対応を行いました。 Express700シリーズです。

 従来の独自OS「A−VX」をwindowsNT上に乗せるというものです。その結果、「これはオープンサーバである」と主張しても間違いではないというサーバ(オフコン?)が誕生しました。

 私はこれを見て「うーん、日本人だな〜」とおもってしまいました。



 ** 題して「和魂洋才」「和洋折衷」 **



 1階は西洋造りの店舗、2階は和室の住居の「店舗付き住宅」みたいなもんです。入ったときは「お〜〜、モダンな西洋風!!」と思わせておいて、「ま、ま、2階へあがってごゆっくりおくつろぎください!、ちょっと片づける間おまちくださいね。」とかなんとか。 しばらく待たされた後、2階へあがってみると「おおお〜〜! 昔ながらのなつかしい畳の部屋じゃんかーー」 と言うわけです。



* しかし、パターン(3)のこのやり方、実に「ひらめきの勝利」「作戦勝ち」でしたね。「忍術」と言おうか「擬態」と言おうか、とにかくみごとな隠れ方です。

 NECの頭の中には多分、

 (1)今後「オフコン」では勝負がむづかしい。「オープンサーバ」として売り込まなければ無理。

これなら、顧客が「NTサーバに替えたい」と行ってきてもOK。「社長、もちろんこれは正真正銘のNTサーバです。」

 (2)囲い込んだ顧客の資産が100%継承できれば、オープン側からの売り込みと競合しても強い。

 (3)時代の主流であるMSとの強い関係をアピールできる。

さらに、

 (4)今後、A-VXを使うユーザが減ってきてやめる場合でも「もともとこれはNTサーバなのだから。。」といって自然に消滅できる。当分の間、様子見して世の中の流れを見極めよう。

 と、いう考えがあったのではないでしょうか?



上記は、すべて私見です。

** 特に(4)に関しては、皆さんのお考えをお聞かせください**



* いずれにしてもNECが「オフコンから撤退」といわれても反論しないというのは、販売戦略上の「作戦」ではないかと思います。(なんといっても、これは「windows2000サーバ」ですから。。)



* 700シリーズの頃は、ようようNTの上でA-VXを動かしている(湯船の中に一人入っただけでお風呂がいっぱい。二人目がはいれないよ)って感じでした。製品発表当時は、バグも多く、NECの保守員が毎日走り回ったという。。ある保守員が顧客のところでパッチを当てて帰ろうとしたところ、別の保守員がやってきた。「あれ、君、何しにきたの?」「僕、次のパッチ当てにきたんです」なんて冗談がでたほどでした。



* しかし、さすがNEC。700シリーズA−VX3 V2頃からは、完全に物にしましたね。

 さらに600シリーズA-VX4(インテルプロセッサ、NT4.0、Win2000サーバ)になった頃からは、かなり余裕が出てきました。オープン連携の機能もかなり追加され、またオープン系DBなどと同一サーバ上で運用しても問題なくなってきました。



* NECになると、つい長話になってしまいます。

 この続きは =後編= で。。



(続く)



16:「隠れオフコンの時代」(10) NEC=後編=
EXCHANGE 09/28 08:14
* 前編で見たようなNECのやり方が、実際のNECのオフコンの販売の上でどのような効果(結果)を生み出したのか私にははっきりとした情報がありませんので、知りたいところです。



* ただ、NECの場合、2000年問題でのマシンそのもののリプレースがあまり必要なかったため、リース切れ、経年による買い換えが2000年以後に持ち越された可能性があります。したがって「富士通苦戦」「NEC善戦」といわれても単純には判断できないように思いますが。。(現に、このHPでも3100−AXXといった機種がまだ使われていることが分かります)



* さて、この「NTの上に乗せる」という方式ですが、当初私は、IBMなどと比べ「対決よりは融合を計る日本式」という感想と同時に、「邪道!!」と思ったことも事実です。



* しかし、その後の世界のOS界(そんなもんあるんかしらん?)の流れをみていると、VMWAREなどが現れて、複数OS同時稼働、OS上にOSといったことが当たり前になってきました。

 後になって考えてみると、NECのこのやり方、けっこう「時流じゃん」 と、思い始めました。



* NTの上に乗せるのがうまくいったのは、MSとの深い関係によるところが大きいのでしょうが、同時に「A-VXが比較的軽いOSであった」ことが幸いしたと思います。

 そもそもハードの非力だった過去においても、富士通のようにF1、F3、F5といった何種類ものOSを使わなくても「これ1本!」でいけたのはA?VXが(上位機種での機能がやや低いものの)軽いOSだったからでしょう。



* 逆にいうと、そこが今後のA-VXの課題ではないかと思うのです。 はっきり言って現在のA-VXの基本的なレベルは、IBMでいえばS36の後期のSSPのレベルと同じレベルに思われます。(S36同様使いやすいのですけどね)

 OUTQを駆使しないシンプルなスプールの構造、時々再編成を必要とするファイルシステム、後からおっかぶせの低機能データベース、等々。。

 OS400や、ASPに遙かに及ばないように思われます。



  DB機能の強化(同時キーファイルを多数とれるようにする。フィールドで条件選択した論理ファイル。セカンダリファイルでのSELECT条件検索。複数レコード様式の合併ファイル。トリガー機能。等々。。)、JAVAの実装、WWWサーバの機能(IISだけじゃいや)、数え上げればきりがありません。





** このまま、WINサーバ上で現状維持の「保守モード」には入り、自然消滅を待つのか? **



** 大幅な内部の改造をはかって「改革を断行」するのか? **



 NECの奮起に期待したいと思います。



(続く) 次回は「真実の姿は?」:=活躍する隠れオフコンの巻= をお送りします。 





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